★うつの症状が重い方や、ご自身のトラウマを刺激されてつらくなる可能性のある方は、読むのをお控えください★

私は1年前に仕事での挫折をきっかけにうつになり、現在も治療中です。
うつの症状は軽快してきましたが、うつのきっかけとなった出来事がトラウマとなり、現在も仕事には復帰できずにいます。物忘れも続いていますし、もともと感じてきた生きづらさも解決していません。
トラウマと向き合うことは1人では危険なこともあるため、専門家を頼ることが勧められています。
しかし、私の場合は、精神分析で話した後の疲労や感情の落ち込みを、家族に見せまいとしたり、
週1回決まったペースで通い続けなければならないシステムと料金も負担になってしまい、
5か月で中断してしまいました。(主治医から紹介された先生でしたが、行き帰りに4時間かかる距離にも無理がありました。そういった判断も、以前は冷静にできなかったのだと思います。)
今後、トラウマと向き合うには別なカウンセラーを頼ってみる方法もありますが、精神科の治療、カウンセリング、精神分析を1年間受けてみて、私は専門家にでさえ、ネガティブな感情を話すことが難しいのだと知りました。
うつのきっかけとなったトラウマを解決できなければ、人と関わる仕事はできないままだろうけれど、これ以上できることもないのかな、と途方にくれていたとき、出会った本に救われました。
それが、「発達性トラウマ 生きづらさの正体」(ディスカヴァー携書 みきいちたろう 著)という本です。そこには、これまで自分が悩んできたことの答えがありました。本の内容はまたご紹介してゆきますが、この本により自分のことを知って、「今の自分でもできることをしてみよう」という気持ちになれたのです。
今は人と話すより、落ち着いて考えを整理できる文章の方が、私には合っているように思います。私の顔も名前も知らないどなたかに読んでもらえるなら、トラウマとも向き合えるかもしれないと思いブログを始めました。子供のころから真面目すぎだ、考えすぎだ、と言われてきたので、「考えすぎるくま」と名乗ってみようと思います。
生きづらさの原因は発達性トラウマだった
「トラウマ」というと、戦争や災害、事故や虐待などの衝撃的な記憶をイメージしますが、それら以外にも、慢性的に受け続けてきたストレスもまたトラウマとなり、子供のころに慢性的に受けてきたストレスを「発達性トラウマ」と呼ぶそうです。
発達性トラウマにより、大人になってからも人とのコミュニケーションに困難を感じたり、自律神経や脳の発達に異常が起こり、「第4の発達障害」と言われる発達障害と似た症状が出ることもあるようです。
今回は、自分の幼少期のトラウマの一つと、困りごととの関係について考えてみます。
母との愛着形成の失敗
私が2歳のころ、弟が生まれました。弟の夜泣きで私が眠れずに泣くため、母は私を祖父母の家に預けたそうです。それから小学校に入学する前の5歳まで、祖父母の家で暮らしていました。
私が覚えているのは、気づいたら祖父母の家で一人っ子のように過ごしていて、とても居心地がよかったことです。その頃の両親や弟、その後生まれた妹の記憶はありません。
祖父母のところがすっかり自分の家になってしまっていたので、祖父母の家から父が連れて帰ろとするのを泣いて嫌がったのを覚えています。週末だけ両親のところへ帰るところから慣らしていき、小学校に入学する頃、両親と弟妹と暮らすようになりました。
記憶はあまりありませんが、幼いころに両親、特に母と離れて暮らしたことは、その後の私に大きな影響を与えました。母と長く離れたことで、母との間に愛着形成が上手くいかなかったのです。両親の元に戻った当初は、自分の家族なのによその家に来たような感じがしていました。その後も、母を怒らせたり悲しませたりしたくなくて気を遣ってきたように思います。
今でも両親にネガティブな本心はあまり言えません。家を居心地のよい場所にしたくて、両親を喜ばせるようなことをしてきたように思います。そうしたことが、家族以外の人に対しても本心が言えないことや、無理をしていても、無意識に人を喜ばせようとしてしまうことにつながっていると思います。
もう一つは、心の安全基地になりつつあった祖父母と、離されてしまったことです。これは大人になってみて仕方のないことだったと分かるのですが、それによって、私は必要な時期に、心の安全基地を作り損ねてしまったのだと思います。
まとめ
今回お伝えした経験以外にも、自分の幼少期には発達性トラウマの原因となるような経験がいくつもあったことを知りました。今後も少しづつ発達性トラウマの考え方をご紹介しながら、1つ1つのトラウマと向き合ってみようと思います。
最後まで読んでいただき
ありがとうございました。
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